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那覇地方裁判所 昭和52年(行ウ)5号 判決 1982年10月27日

原告 小橋川正雄 外三名

被告 吉田勝栄 外一名

主文

一  被告らは、それぞれ沖繩県国頭郡金武町に対し、金一億二四三六万六九一七円及び右各金員に対する昭和五二年一〇月二一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、沖繩県国頭郡金武町に対し、金二億四八七三万五八三四円及びこれに対する昭和五二年一〇月二一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 原告らはいずれも沖繩県国頭郡金武町(町制施行昭和五五年四月一日。町制施行前は同郡金武村。以下「金武村」という。)の住民である。

(二) 被告吉田勝栄は、昭和五一年一月六日から現在まで引続き金武村の村長であり、同安次富和雄は、昭和四九年八月一日から現在まで引続き金武村の収入役の地位にあるものである。

2  (金武村の本件各土地所有権の取得)

(一) 別紙物件目録記載の各土地(以下「本件各土地」という。)は、いわゆる杣山(そまやま)であつたところ、明治三二年四月一日施行の沖繩県土地整理法一八条により国有地となつた。

(二) 明治三九年沖繩県杣山特別処分規則(勅令第一九一号)により、杣山は、その造林保護をなした区、間切(現在の村)、島又は村(現在の区)に払い下げられることになり、本件各土地もその所在地たる金武村(当時「金武間切」といわれ、戦後分村した宜野座村も含んでいた。)に払い下げられ、同村は昭和一〇年までの三〇年間に合計八三二八円の代金を完済して、本件各土地所有権を取得した。

(三) 本件各土地は右の経緯により金武村の所有となつたものであつて、金武村内の各区(部落の呼称で、権利能力なき社団を構成する。なお、当時は「村」と呼ばれていた。)に払い下げられたものではなく、このことは、以下の事実によつても明らかである。

(1) 本件各土地の払い下げ当時、金武村内の各区自体も杣山の払い下げを受けたが、これは本件各土地とは別の土地であり、登記簿上も各区の有識者数名の個人所有名義で登記されている。そして、戦後右各区有地を米軍用地として国等に貸付けた賃料は、全額各区自体が取得している。

これに対し、本件各土地は登記簿上も金武村の所有となつており、戦前は本件各土地から生ずる林産物の代金につき、戦後はこれを米軍用地として国等に貸付けた賃料につき、いずれもその半分近くを村が分収金名下に取得している。

従つて、本件各土地を区有地とするのは不自然である。

(2) 戦前金武村の村有林には、禁伐林と家材許可林(別名「仕立林」とも呼ぶ。)との区別があり、後者は保護、管理、造林とも各区に委ねられ、その立木等の売却代金は、一定の割合で区と村とが分収していたが、前者は村の森林監守(山係)が保護管理し、区民の入林を許可しなかつた。本件各土地にも右二種類の区別がなされ、それぞれ前記のとおりの管理がなされ、禁伐林には成育した大きな立木があつても、各区民は入林しなかつた。なお、戦後は米軍用地として国等に貸付けられたため、区民の利用は不可能になつた。

(3) 昭和二一年金武村内の字漢那、同惣慶、同宜野座、及び同松田の四ケ字を区域とする宜野座村が金武村から分村したが、その際、各村の区域内にある村有土地の所有権は、それぞれその村に帰属する旨の取り決めがなされた。

(4) 金武村は、戦後別紙物件目録記載(5)及び(6)の各土地中、現実に米軍用地として利用されていない部分を、茶工場用地等として訴外宮城親雄及び原告宜志富紹一らに賃貸したが、その賃料は全額村が取得している。

(5) 金武村は、別紙物件目録記載(10)の土地中、現実に米軍用地として利用されていない部分を、県営屋嘉総合農地開発地域に組入れた上、昭和五四年一一月二〇日、金武村を名義人として、沖繩県農業開発公社に対し、賃借権を設定するため、県知事宛農地法三条一項の規定による許可申請をしている。

(四) 仮に、前記明治三九年勅令第一九一号により本件各土地の払い下げを受けたのが、金武村ではなく、金武村内の各区(金武区、並里区、伊芸区及び屋嘉区。以下これらをまとめて「金武外三区」ともいう。)であつたとしても、沖繩県においては、明治四一年四月一日、沖繩県及島嶼町村制(勅令第四六号)が施行され、これによつて従来の村(区)は公法上の行政単位としての地位が否定されることとなり、その頃県は、部落有林野統一の国策に沿つて、部落有財産を町村に移管し統一することを訓令し(一九〇八年沖繩県訓令甲第二二号)、これにより、部落有の山林は、行政単位としての町村に移管されて、町村の公有財産となつたが、本件各土地も右部落有財産統一により、明治四一年に、右各区から金武村の所有に移管された。

(五) 以上の次第で、いずれにしても本件各土地は、現在金武村の所有する公有財産である。

3  (被告らの違法な支出)

(一) 金武村は、昭和四七年五月一五日本土復帰に伴ない、国に対し本件各土地を米軍用地として賃貸し(但し、別紙物件目録記載(10)の土地の一部は昭和四八年二月一日及び同年五月一五日に賃貸した。)、国から、その昭和五一年度分の賃料として、同村普通預金口座に、昭和五一年八月一三日に金四億五八四二万六六八八円、同五二年三月一五日に金三六〇七万三九八〇円の合計金四億九四五〇万〇六六八円を振込み入金されることによつて、これを受領した。

(二) 被告安次富は、同吉田の支出命令に基づき、右賃料の一部について、別紙分収金支出一覧表記載の日時に、同記載の金額(合計金二億四八七三万三八三四円)を、同記載の各区及び金武村軍用地主会(同村内の軍用地所有地で構成される任意団体)に対し、同村昭和五一年度歳入歳出予算に計上しないまま交付して、支出した(以下右支出を「本件支出」という。)。

(三) 本件支出は、金武村が、その所有する土地を賃貸して、受領した賃料の約半額を、村の歳入歳出予算に全く計上しないでなしたものであつて、これはいわゆる総計予算主義を定める地方自治法二一〇条、二三二条の三及び四、地方財政法四条一項に違反する違法な支出であり、被告吉田は村長として、故意又は重大な過失により違法な本件支出命令をし、又被告安次富は収入役として、村長の違法な支出命令には従つてはならない(地方自治法二三二条の四第二項)のに、故意又は重大な過失により、本件支出をし、その結果金武村は、本件支出額(合計二億四八七三万三八三四円)と同額の損害を被つた。

従つて、被告両名は金武村に対し、地方自治法二四三条の二第一項二号及び同条の二第二項により右損害を連帯して賠償すべき責任がある。

(四) なお、本件各土地の米軍用地賃料に関し、被告らの主張するところの分収制度なるものは、金武村の条例、規則等にも定められておらず、村議会の議決を経たこともない不明確なものであつて、その実体は、歴代の村民や一部有力者により、一部村民の反対を無視して強行されてきたものである。

即ち、原告らは金武村内の中川区の住民であるが、同区の住民らは右分収制度に不服で、昭和五一年度分の本件各土地の米軍用賃料についても、金武村長たる被告吉田に対し、(イ)村の財産収入として歳入予算に計上し、適正な運用を行なうこと、(ロ)仮に各区に配分するとしても、中川区にも配分するよう申し入れた。しかし、同被告は、(イ)本件分収金は、米軍用地となつた村有林に金武外三区が戦前から有していた入会権の補償であり、歳入歳出予算に計上しなくても違法ではない、(ロ)中川区への配分金は並里区の分の一部なので、両区で話し合つて解決してほしい、(ハ)配分方式の変更は、金武外三区の複雑な利害関係から、村議会の了解を得ることができない旨回答し、中川区の正当な要求を拒否しているものである。

4  原告らは、昭和五二年六月二五日、金武村監査委員に対し、同村の被つた損害を補填するため必要な措置を講ずべきことを請求したが、同年八月二三日、同監査委員から右請求には理由がない旨の通知を受けた。

よつて、原告らは、地方自治法二四二条の二、第一項四号に基づき、金武村に代位して、被告両名が連帯して、損害金二億四八七三万三八三四円及び本件支出後である昭和五二年一〇月二一日以降支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を同村に賠償するよう求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実はいずれも認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実中、明治三九年勅令第一九一号により、杣山がその造林保護をなした区、間切、島又は村に払い下げられることになつたことは認めるが、その余は争う。

本件各土地の払い下げを受けたのは金武外三区であり、金武外三区が昭和一〇年までの三〇年間に合計金八三〇〇円余を村(間切)役場を通じて国に代金を完済して、本件各土地所有権を取得した(なお、原告らの居住する中川区は、昭和一三年頃から入植した者により昭和一七年頃までの間に形成された部落であり、同区は右代金を負担していない。)。

(三)(1)  同2(三)(1)の事実中、本件各土地払い下げ当時、金武村内の各区が杣山の払い下げを受けたこと、登記簿上各区の有識者数名の個人所有名義で登記されている区有地の存すること、そしてかかる区有地を米軍用地として国等に貸付けた賃料は、全額区が取得していること、本件各土地は登記簿上金武村の所有名義となつており、戦前は本件各土地から生ずる林産物の代金、戦後はこれを米軍用地として国等に貸付けた賃料につき、いずれもその半分近くを村が分収金名下に取得していることは認めるが、その余は争う。

各区がその有識者数名の個人所有名義で登記している区有地は、各区が明治三二年の沖繩県土地整理法に基づいて所有権を取得した土地であつて、明治三九年の沖繩県杣山特別処分規則に基づき払い下げられた土地とは、全く別個のものである。

(2)  同2(三)(2)の事実中、本件各土地の保護管理の状況については、原告ら主張のとおりであるが、禁伐林と家材許可林の区別については不知。

(3)  同2(三)(3)の事実は認める。

(4)  同2(三)(4)の事実は認める。

但し、右各土地の賃料を村と区とで分収していないのは、これが少額であるからに過ぎない。

(5)  同2(三)(5)の事実は認める。

但し、右土地の所有者である屋嘉区の区民と相談した上で、許可申請をしたものであり、金武村が独自に申請したわけではない。

(四)  同2(四)の事実中、本件各土地が部落有林野統一によつて金武村の所有となつたのが明治四一年である旨の部分は否認し、その余は認める。

本件各土地が右により金武村の所有となつたのは、昭和一一年頃のことである。

(五)  かえつて、本件各土地が各区の所有であることは、以下の事情により明らかである。

(1) 各区は、本件各土地を、払い下げを受ける前から管理していたのであつて単に、その払い下げを受けた際に、各区が法人格を有しなかつた(明治三二年一月一日沖繩県間切島規程、勅令第三五二号、同四〇年勅令第四五号)ため、各区所有名義の登記がなされなかつたに過ぎない。

(2) 本件各土地の払い下げ後も、その管理は各区が行なつていた。

即ち、区民が本件各土地から用材、薪炭を調達するには、区の山係の許可を必要とし、違反者は山係から制裁金を徴収された。又各区所有土地間の境界は明確で、区民は別の区の杣山へ入林することはできず、毎夏に村の主催で行なわれる「原山勝負」では、他区と造林保護等の成績を競つた。

しかし、払い下げ代金支払期間中、区、区民が造林保護を軽視し、杣山が相当荒廃したため、村当局は昭和一〇年頃から造林指導に乗り出し、同一〇ないし一一年頃、林野条例を制定し、村の林野助手を常駐させて、村内の杣山(本件各土地も含む)につき樹木残置伐採の指定等植樹指導を行なわせ、又植木を提供して各区に植樹させると共に、林産物の各区による売却に立ち合い、その代金を、雑木の場合は村四、区六、人工造林の場合は五対五の割合で分収するようになつた(なお、昭和二五年、並里区において、その所有の杣山の一部を戦前からの入植者に払い下げ、代金を村と区で分収したことがあつた。)。

(3) 戦後、本件各土地は米軍用地とされ、昭和二八年頃から賃料が支払われるようになつたので、村会議員全員で構成する議員協議会で協議の上、右分収制度を復活させて、村と各区で右賃料を分収することとした。

そして、現在に至るまで、村と区が協議の上、議員協議会で右分収割合を決定し、各区の分収金と村の分収金から軍用地主会の会費(村も区も会員であり、会費は規約で賃料の一〇〇〇分の六と定められている。)を支払つた上、各区に右分収金を支払い、残額のみを金武村の歳入歳出予算に計上するとの方法がとられてきた。

3(一)  請求原因3(一)及び同(二)の事実はいずれも認める。

(二)  同3(三)は争う。

本件各土地は金武外三区の所有であり、これを他へ賃貸することによつて得る賃料は、本来全額が各区に交付されるべきものである。従つて、右賃料は村にとつては単なる一時保管金であり、村の歳入と解することはできない以上、村が本件支出金を国から受領した際に、これを村の歳入予算に計上せず、又、各区に交付する際に、これを歳出予算に計上しなくても違法ではない。なお、本件支出は、前述のとおり、戦前から継続する本件各土地の林産分に対する分収制度に従つたものであり、戦後の軍用地賃料の村と各区との分配方法もこれに従つて行なわれ、村議会でも、昭和四〇年四月九日の議員協議会で、昭和四一年度分に限つては、金武村が六、各区が四とし、それ以降は、五対五の比率で分収する旨決定され、沖繩県においても、行政指導上これを是認している(但し、本件各土地の所有者が各区で、分収制度が確立していることが条件。)以上、被告両名が本件支出を適法と判断したことには、少なくとも重過失はない。

(三)  同3(四)の事実中、原告らが金武村内の中川区の住民であること、原告らが主張のとおりの申し入れを被告吉田に対して行ない、被告吉田が原告ら主張のとおりの回答をしたことは認めるが、その余は争う。

4  請求原因4の事実は認める。

三  被告らの主張

本件各土地が、部落有林野統一によつて昭和一一年頃に金武村の所有となつたとしても、以下の理由により、本件支出は違法ではない。

1  部落有林野統一による金武村の本件各土地所有権の取得は、金武外三区が従前どおりの本件各土地の利用権を確保し、右土地から得る収益について、各区がその一部を分収する特別の権利を保有するという条件の下に、村議会が議決したことにより行なわれ、戦前においては、村議会の議決を経て、旧慣による本件各土地の利用権が金武外三区のために設定されていた。

2  金武村は、昭和五七年一月六日「旧慣による金武村公有財産の管理等に関する条例」(以下「旧慣条例」という。)を公布施行したが、右条例は、従来存した旧慣について、これを確認した上で、杣山の管理及び処分に必要な事項を定めたものである。右条例によると、本件各土地にも旧慣による土地利用権が設定されており、その使用の対価として収受する金銭は、金武村と各部落民会が各々一〇〇分の五〇宛分収することになつている。

3  ところで、地方自治法二一〇条に定める総計予算主義における「収入」とは、普通地方公共団体の各般の需要を充たすための支払いの財源となるべき現金の収納のことであるが、前述のとおり、本件各土地は、各区が一定の割合にて分収金を受領する権利を保有しているのであるから、右各区が毎年受領する分収金は、実質的には金武村の収入とはいえず、従つてこれを金武村の歳入予算に計上する必要はない。

4  仮に、右分収金は、これを一旦金武村の歳入予算に計上した上で、各区へ支出すべきであるとしても、金武村は部落有林野統一の際の前述の統合条件を尊重すべき義務を負つており、右分収金はいずれにせよ各区に支出しなくてはならないのであるから、被告らの行為によつて金武村が損害を被つたことにはならない。

四  被告らの主張に対する原告らの認否

1  被告らの主張1の事実は否認する。

2  同2の事実中、金武村が昭和五七年一月六日に旧慣条例を公布施行したことは認めるが、その余は争う。

旧慣条例は本訴を有利に導くためあえて制定されたものであつて、何ら旧慣に基礎を置くものではない。

3  同3及び4は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  原告らがいずれも金武村の住民であること、被告吉田勝栄が昭和五一年一月六日から現在まで引続き金武村の村長であり、同安次富和雄が昭和四九年八月一日から現在まで引続き金武村の収入役であること、金武村は昭和四七年五月一五日、国に対し、本件各土地を米軍用地として賃貸し(但し、別紙物件目録記載(10)の土地の一部は昭和四八年二月一日及び同年五月一五日に賃貸した。)、国からその昭和五一年度分の賃料として、同村の普通預金口座に、昭和五一年八月一三日に金四億五八四二万六六八八円、同五二年三月一五日に金三六〇七万三九八〇円の合計四億九四五〇万〇六六八円を振込み入金されることによつてこれを受領したこと、被告安次富が、同吉田の支出命令に基づき、右賃料の一部について本件支出を行なつたことは当事者間に争いがない。

二  (本件各土地の所有権の帰属)

1  本件各土地はいわゆる杣山であり、明治三二年四月一日施行の沖繩県土地整理法一八条に基づき国有地となつたこと、明治三九年沖繩県杣山特別処分規則(勅令第一九一号)により、杣山はその造林、保護をなした区、間切(現在の村)、島又は村(現在の区)に払い下げられることになつたことは当事者間に争いがない。

2  そこで、本件各土地は、昭和五一年当時において金武村の所有するものであつたか、それとも金武外三区の所有するものであつたかの点について検討することとする。

成立に争いのない甲第三号証、第一九号証、第三二及び第三三号証、第三五号証、乙第一号証、第五ないし第九号証、第一三号証、第一七号証、第二三号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第二二ないし第二四号証、乙第三及び第四号証、第一八ないし第二二号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙第一〇及び第一一号証、証人屋比久孟松、同小橋川作太郎、同宜野座達雄、同松岡政幸、同吉田省吾、同仲間忠光、同許田正喜、同大城徳三、同伊芸康正、同与那嶺一和、同大城猛及び同安富祖一博の各証言、原告山城鎌亟、被告吉田勝栄及び同安次富和雄の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

(一)  杣山は、旧慣制度の下においては、県令、島司役所長(郡長)、間切長(町村長)、山方筆者、村頭らが造林保護に当たることになつていたが、沖繩県土地整理法により杣山が国有となつた明治三二年頃には、本件各土地の造林保護は専ら金武外三区が行なつており、各区に存する杣山の境界は明白で、ある区の住民は他の区に存する杣山には勝手に入ることはできなかつた。そして、金武村が、林野条例を制定し、村に技術指導員を置くなどして、杣山の造林保護に積極的に乗り出したのは、昭和九年頃から後のことである。

(二)  各区に存する杣山の払い下げを県知事に願い出た際(明治四一年頃)には、その名義人は各区の代表者金武村間切長新里良清となつており、又右払い下げ代金合計八〇〇〇円余(当初は一五年賦であつたが、後日三〇年賦と改められた。)についても、各区の住民が、払い下げ対象地の杣山(本件各土地も含む。)の立木を処分した代金の一五パーセントほどをこれに充当し、それでも不足する場合には、人頭割りとし、たとえば惣慶区では一戸当り五〇銭宛を区長に納め、区長はこれらをとりまとめて間切の収入役へ提出し、間切収入役から国に対して支払われていた。

(三)  明治四〇年勅令第四五号により、当時の間切は村と呼称されることになり、同年勅令第四六号により、村は法人として最小の行政単位となつて、字(従来の村)は行政単位ではなく、法人格も有さないことになり、その頃県は、部落有林野統一の国策に沿つて、部落有財産を町村へ移管する旨の訓令を発した(明治四一年沖繩県訓令第二二号)。しかしながら、現実に各区の所有林野のほとんどが村に統一されるまでには、明治四一年から昭和一二年頃までの実に二五年ほどの歳月を要し、その間には字(区)は行政単位としての地位を否定されたとはいえ、実際には財産を所有し、あるいは従来同様に、便宜上官治補完的役割りを持ち続けた(なお、その間の昭和五年、金武区の代表者金武村長が、金武区内の土地を売却し、その一部について金武区長が、その境界を確認したことがあり、右土地は本件各土地同様の杣山であろうと推認されるが、その詳細は不明である。)。

(四)  本件各土地については、遅くとも昭和一二年頃までの間に、金武村が事業を行なうにつき補助金を得る関係等から、これを村有地に統一する必要が生じ、当時の金武外三区の有力者らと金武村とで協議した結果、本件各土地を、各区が従来どおり利用することのできる権利を各区が留保する、との約の下に、所有権者を村とする旨統一され、村はその頃その旨の登記を経由し、林野条例を制定して、村には技術指導員を、各区には林野巡守を置き、技術指導員において各区の林野巡守を指導することで、本件各土地の造林保護を徹底することとし、雑木についての収益については、統一以前には各区が全部を取得していたが、統一後は、村が杣山の造林保護の指導を行なうようになつたこと等から、村と各区とで分収しあうこととした(なお、本件各土地が部落有林野統一により金武村の所有となつたこと、金武村の所有名義で登記のなされていることは、いずれも当事者間に争いがない。)。

(五)  統一後も戦前においては、本件各土地の利用形態は従前と同様であり、村からの指導は受けてはいたが、各区において造林保護を行ない、区民の本件各土地への入林伐採には区の林野巡守(山係)の許可を必要とし、違反者には区から制裁金が課され、区民は別の区の杣山への入林は禁じられていた。

(六)  戦後、本件各土地は米軍用地として接収され、米軍の使用するところとなり、各区の住民がこれを利用することは不可能となつたが、右土地に対して支払われる軍用地賃料については、当初から、戦前の分収制度を復活させるということで、格別に分収契約を締結するとか、条例等を制定して分収に関する事項を規定することもなく、全額を一旦村の収入役が受領し、その半額(右割合は、村議会議員全員で構成する議員協議会で協議の上で決定されたが、特に村が多額を必要とする場合には村が六、各区が四となるなどし、一定はしていなかつた。)のみを村の「財産貸付収入」として歳入予算に計上し、残額は「歳計外現金」として収入役が保管する形で、歳入予算には計上しないまま、直接金武外三区へ配分した。

なお、本件各土地は、遅くとも戦後からは、金武村の公有財産としてその財産目録にも掲載され、又、村の収入役は、村の財産に関する調書に真実を記載すべき義務を負うことは明らかであり、右調書が決算の際監査委員の審査に付され、村議会に提出されてきたが、右審査や議会審議の際に、その正確性につき疑義が提出された形跡はない。

(七)  金武村は、戦後別紙物件目録記載(5)及び(6)の各土地中、現実に軍用地として利用されていない部分を、茶工場用地等として訴外宮城親雄及び原告宜志富紹一らに賃貸したが、その賃料は全額村が取得している(右は当事者間に争いがない。)。

そうすると、明治三九年に国から本件各土地の払い下げを受けたのは、以上認定の事実関係、ことに、(イ)杣山の造林保護を当時専ら行なつていたのが金武外三区であつたこと、(ロ)払い下げ代金も各区の住民が分担して支払つていたこと、(ハ)払い下げ願いの申請人も各区の代表者であること(更に、前掲各証拠によると、金武村内の長老幹部間では、代々金武外三区がその区内の本件各土地の払い下げを受けたことが伝承されており、右伝承に対し積極的反論はなされていなかつたことも認められる。)などに照らすと、金武外三区であり、右各区がそれぞれ区内に存する本件各土地の所有権を取得したものと推認することができるが、こうして一旦は金武外三区に帰属した本件各土地の所有権は、前記認定のとおり、遅くとも昭和一二年頃までには、部落有林野統一により、金武村に移転し、以来本件各土地は金武村の公有財産となつたものと認めるのが相当である。

なお、原告らは、本件各土地が明治三九年に国から金武村に払い下げられたことをうかがわせる事情として、請求原因2(三)において種々の主張をしているが、金武外三区には、その有識者数名の個人名義で登記されている区有(法律上は総有)地が存する(右は当事者間に争いがない。)が、右土地は明治三九年の払い下げにより区有となつたものか否かを認定するに足りる証拠はなく、又、本件各土地が払い下げられた当時に、登記を経由したか、あるいは経由したとしても村名義であつたか区名義であったか、を認めるに足りる証拠もなく、更に前認定のとおりの経緯で本件各土地が部落有林野統一により村有林となつたことに照らせば、前記個人名義の区有地につきその林産物による収益を全額区が取得し、本件各土地では区と村とで分収していることも何ら前記認定を左右させるものではなく、他の事情については、部落有林野統一によつて本件各土地が金武村有となつたことと矛盾するものではない一方、明治三九年に本件各土地の払い下げを金武村が受けたことを推認させる事情とはなり得ないものである。

又、被告は、本件各土地は金武外三区が所有するものであると主張し、これをうかがわせる事情として、種々の点を述べているが(なお、右事情のうち証拠により認定し得るものもあること、前述のとおりである。)、右事情は前記認定と何ら矛盾するものではないから、更に右事情につき判断を加える必要はないものと考えられる。

右認定に反する証人松岡政幸の証言中の部落有林野統一の時期に関する部分は、前掲各証拠に照らし容易に措信し得ず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  (本件支出の適法性等)

1  前認定のとおり、本件各土地は金武村の公有財産であるから、これを他へ賃貸した場合の賃料は、地方自治法施行令一四七条に基づく地方自治法施行規則一五条一項の別記中の財産運用収入のうちの財産貸付収入として歳入予算に計上すべきものであり、更に支出についてもこれを歳出予算に計上した上でなすべきものであるといわなければならない(地方自治法二一〇条)。

2  ところで、被告は、本件各土地につき、金武外三区は部落有林野統一の際に、従来の右土地に関する利用権を留保しており、右利用権は旧慣として保護されているのであるから、各区は、本件各土地を他へ賃貸した際に得る賃料のうちの一定割合を取得する権利があり、本件支出分の金員は、当然に金武外三区の収受すべきもので、村はこれに対しては何ら取得する権利はないのであるから、村の収入たり得ず、更に本件支出は当然に金武外三区へ支出しなければならない金員であるから、これを予算に計上しないで支出したとしても、村は何ら損害を被ることにはならない旨主張するので、以下右の点について判断する。

(一)  前認定のとおり、部落有林野統一の際に、本件各土地について金武外三区が有していた利用権は留保され、その際に制定された林野条例によつても右土地の林産物を処分した際には、これを一定の割合で村と区とで分収する旨定められており、一方、地方自治法二三八条の六には、旧慣により市町村の住民中特に公有財産を使用する権利を有する者があるときは、その旧慣により公有財産を使用することを認める旨定められており、右権利は公法上の権利であり、又、部落有財産を市町村有に統合するときに、将来における使用権につき、当該部落民に特別の権利を認める協定が結ばれた場合等には、右権利は同条の旧慣による使用権と認められ、右旧慣は議会の議決により変更することはできる(同条一項)が、統一条件の精神も尊重されなければならないことになつている(参照昭和二四年五月一六日自発第五一二号、自治課長回答)。しかしながら、旧慣による使用権の設定されている公有財産であつてもそれが当該市町村の公有財産である限り、その管理及び処分については、当該市町村の公有財産についての法令の規制を受けるのは当然であるといわなければならない。従つて、以上のことを前提として以下考察することとする。

(二)  本件各土地が部落有林野統一によつて金武村有となつた際に、村と各区とでなされた協定は、本件各土地を各区民が従来どおり利用し得る権利が留保され、その内容として、林産物を処分した際の収益について、村と各区において分収する旨約されたに過ぎず、当時、他へ賃貸したことによつて得る賃料について、これをいかなる割合にて分収するかというような問題の生ずるが如き事態は、村と各区の間でも全く予想されておらず、前認定のとおり、戦後、本件各土地が米軍用地として接収され、賃料が得られるようになつた際に、戦前の分収制度を復活したとして行なわれた分収も、その割合は、一定せず、議会等の承認もないまま変動し、又、軍用地以外で他へ賃貸している土地については、その賃料を全額村が取得し、区へは分収していない点にみうけられるように、右賃料のうちどの程度を村の収入とするかの問題は、公の監視の届かないところで事実上決定されてきたのである(金武村会議員全員で構成する議員協議会で、分収割合が決定されたとしても、右協議会が法規上の根拠のある正規の機関であることを認めるに足る証拠はなく、従つて、結局右は私的な協議会という外はない。)。

(三)  そうすると、部落有林野統一の際に、旧慣として金武外三区に認められた本件各土地の利用権は、あくまで本件各土地に対し各区民が入会権のような権利に基づき、入会をして、その林産物を一定の割合で取得するという範囲内のものであるに過ぎないと認めるのが相当であり、これが戦後米軍用地として接収され、本件各土地の入会的利用が不可能となつた場合における賃料収入の帰属ないし配分の問題については、右旧慣による土地利用権の変更として、右旧慣の趣旨を充分尊重しつつ、地方自治法二三八条の六第一項後段により、議会の議決等を得て、これを賃料の分収契約等に変更すべき筋合のものであると解するのが相当であつて、右議決等を得ずに、村の執行機関において勝手にその賃料の一部を各区の取得分とすることはできないというべきである。

なお、付言すれば、仮に右のような議会の議決を経て賃料の分収制度を確立した場合であつたとしても、村財政の一切の収支を予算に計上することによつてその全体を明瞭ならしめるとともに、村議会及び村民の財政上の監督を容易ならしめることをその趣旨とする地方自治法二一〇条の規定に照せば、なおいつたんはその賃料収入の全部を予算に計上したうえで、これを右分収制度の内容に従つて支出するという手順を踏むべきものであるといわなければならないのである。

なお、金武村が昭和五七年一月六日に旧慣条例を公布施行したことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一五号証によると、右条例は、部落有林野統一に際して、村と各区の間で、本件各土地利用権につきなされた協定を確認するものとの体裁をとり、その中に本件各土地を含ました上で、これを他へ賃貸した際の賃料の一〇〇分の五〇を各区は取得する権利を有する旨定め、右条例施行前に行なわれた収益の分収等は、この条例により処理されたものとみなす旨定めていることが認められるが、右条例はまさに本訴第一審訴訟手続の口頭弁論終結に近接した時期に公布施行されており、右条例をもつて昭和五一年度の本件支出の適否に消長をきたすものと解すべきいわれもないから、右旧慣条例の存在は、本訴の認定ないし判断においては、何の意味も有さないというべきである。

(四)  従つて、その余の点を判断するまでもなく、金武外三区には、本件各土地を他へ賃貸した場合の賃料の半額を取得する権利が旧慣により認められていることを前提とする被告の主張は、いずれも理由がないというべきである。

3  以上の次第で、本件支出は地方自治法二一〇条に反する違法な支出と解する外なく、金武村の右支出により、実体法上の債務を金武村が免れる等の受益をした等特段の事情も認められない以上、村は右支出額と同額の損失を被つたものと認めるのが相当である。

四  (被告らの過失責任)

1  前掲各証拠によると、本件支出は、その額、金武村の財政規模等に照らし、その扱いには特に慎重さが要求されること、本件各土地は登記簿上もあるいは金武村の財産目録上も村有財産であることが明示されていること、県(復帰前は琉球政府)地方課から金武村に対し、幾度か、本件支出のような公金の支出方法は、地方自治法二一〇条の総計予算主義の原則に違反する疑いがある旨指摘されていたこと、近隣の市町村のうち国頭郡恩納村においては、本件と同様の土地の米軍用地賃料は、歳入予算に一旦計上した上で、歳出予算に計上して各区に支出されており、このことは被告安次富も充分に承知していたこと、本件支出のような軍用地賃料の配分については、原告ら中川区民から、被告吉田に対し、村の財産収入として歳入予算に計上し、適正な運用を行なうように申し入れがなされていたこと(右は当事者間に争いがない。)が認められ、右事実を総合すれば、被告吉田は村長として、違法な本件支出命令(地方自治法二三二条の三及び同条の四第一項)をした点、同安次富は収入役として、村長の違法な支出命令には従つてはならない(同法二三二条の四第二項)のに本件支出をした点に、いずれも少なくとも重大な過失があるといわなければならない。

2  もつとも、同じく前掲各証拠によると、本件支出については昭和四〇年四月九日の議員協議会で、その方法についての承認を得ていること、戦後から現在に至るまで本件支出の如き軍用地賃料の配分方法が歴代の村長、収入役によつて継続して行なわれてきたこと、近隣の市町村のうち、戦後金武村から分村した国頭郡宜野座村においては、本件支出と同様の方法で軍用地賃料を各区へ配分しており、県もその違法性を断言するには至つていないこと、原告ら中川区民にしても、同区に対しても分収金が配分されるのであれば、各区の分収金を村の予算に計上することは要求しないとの態度をとつていたこと(右は当事者間に争いがない。)が認められるが、議員協議会といえども正規の機関ではなく結局は私的な協議会に過ぎないこと前認定のとおりであるし、その他の事情も、それ自体、村長あるいは収入役の地方自治法上の職責を軽減するものとは認め難く、右各事実によつても1における認定を覆すに足りないというべきであり、他に1における認定を覆すに足りる証拠はない。

3  前認定の事実に照らすと、被告両名の職分、ないし、三3記載の損失の発生の原因について被告両名が果した役割に応じた右両名の責任は同等と解されるから、被告両名は、各自三3記載の損失の各半額を金武村に対し填補すべき義務を負うというべきである(地方自治法二四三条の二第一項、第二項)。

4  そして、原告らが昭和五二年六月二五日金武村監査委員に対し、同村の被つた損害を補填するため必要な措置を講ずべきことを請求したが、同年八月二三日、同監査委員から、右請求は理由がない旨の通知を受けたことは当事者間に争いがない。

五  (結論)

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し金一億二四三六万六九一七円及び右各金員に対する損害発生後である昭和五二年一〇月二一日以降支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金につき、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、金武村にその賠償をなすように求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、本訴の場合、仮執行の宣言は相当でないから、この点の申立を却下して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮城藤義 梶村太市 高林龍)

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